2012年8月31日金曜日

Diablo3開発陣の思い上がり

4Gamerに興味深い記事が載っていた。
Access Accepted第356回:「Diablo III」のゲームディレクターが投稿した一通の謝罪文
http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20120825005/

Diablo1、2の開発者だったDavid Brevik氏がDiablo3ファンサイトからのインタビューにおいて、Diablo3について穏便に批判をしたところ、Diablo3開発陣約12人がFacebook上で、つまり公にDavid Brevik氏に対して暴言を吐いた事件。
間違いの無いことは「Diablo3開発陣には謙虚さが欠如していた」ことだ。そして、今も欠如している恐れが大きい。

David Brevik氏ですら面罵する開発陣に一プレイヤーのささやかな声が届こうはずも無い。多くのプレイヤーがこう考えてしまうのも無理なからぬことだ。

Diablo3について個人的な感想を述べよう。
もし、Diablo3にDiabloの字が付いていなかったら俺は今作Diablo3をプレイしていなかった可能性が高い。
パッチ1.0.4でいくらかましになったが、それまでは難易度Infernoでゲームバランスが崩壊していた。
それに、リアルマネーオークションの手数料で儲けを企んでいるのも小賢しい。
NVシステムも鬱陶しい。
一言でいえばクソゲーだったわけだ。

なぜ、パッチ1.0.4まで遊ぶのを休みながらも気長に待っていたか。
それはDiablo「2」が長い間パッチで改善されてきたという実績があったからだ。(「1」の当時のことはよく知らないので書けない。)Diablo3もDiabloの魂を持っているならば現状がまずくとも将来は良くなるだろうという見込みがあったからだ。
これはDiablo3がDiabloという「のれん」に助けられていたのである。
それなのに、その「のれん」を作った人物がした批判に対して暴言を吐くという行為。Diablo3が爆発的に売れたことを開発陣が自分達だけによる手柄だと思い上がっている。

面従腹背、形だけの謝罪は世の中多い。
プレイヤーの信頼を損ねたことに対しても、彼ら開発陣にはこれから長い贖罪の日々が待っていることを肝に銘じてもらわなければならない。



俺はこの記事の筆者である奥谷海人氏が書く記事をゲーム業界の傍観者の一人として楽しみにしている。
最近の記事では、
Access Accepted第352回:メジャーリーガーが作ったゲーム会社の顛末
http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20120728008/
もすごかったわ。

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